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唐橋(からはし、生没年不詳)は、江戸幕府の大奥女中。のち峰姫付きの上臈〔『高松家譜』〕。名は種子。正二位権中納言の公卿・高松公祐の長女で、母は滋野井冬泰の娘〔『高松家譜』〕。 == 人物 == 唐橋は第11代将軍・徳川家斉の娘・峰姫付きの上臈御年寄となり、1814年(文化11年)、峰姫が第8代水戸藩主・徳川斉脩に嫁いだときそれに付き従って、江戸にある水戸藩小石川邸の上屋敷へ入った。 幕末から明治の漢学者・大谷木醇堂(1838年-1897年)〔大谷木醇堂、デジタル版 日本人名大辞典+Plus 。2014年5月閲覧。〕の『灯前一睡夢』によると、 大谷木醇堂の祖父・大谷木藤左衛門は峰姫の御用人だった為、水戸藩小石川邸の事情を詳らかに知っていた。上臈御年寄とは生涯奉公の職で、終身異性関係を持たないと誓って奉公すべきだった。江戸城大奥にある頃、峰姫の父・徳川家斉は、美貌だった唐橋を側室にしようとした事があったが、唐橋から拒まれ、謝辞されていた。これには家斉もどうしようもなかった。 さらに醇堂は同書で「家斉の命令を拒み、斉昭の誘いに応じた唐橋の心中は怪しむべきであり、斉昭と同じ穴の妖怪であるかも知れない」とした上で、「畏れ多くはあるが、家斉の顔も斉昭の顔もあえて『伊勢物語』の美男にも似ていない」と書いている。また醇堂は、家斉が斉昭へそれ以上に追及できなかったのは、家斉にも随分醜態があったので、家斉が自分の行状を顧みて人を許す他なかったからだ、としている〔大谷木醇堂『灯前一睡夢』p.226-227〕。なお唐橋と斉昭国許篭りについて大谷木醇堂の話の真偽如何に関わらず、斉昭が藩政改革のために国許にいることが多かったのは事実である。 一方、1894年(明治27年)11月10日、高松実村子爵(唐橋の父高松公祐の曾孫)が史談会に語ったところでは、唐橋の妊娠の事情は多少異なる。大奥で重く用いられていた唐橋に、斉昭が登城の際、「何か少し六ケしい(難しい)書類の調べごとがあると」協力を求めたことがあり、やがて二人は「段々親しくなつて余り親し過ぎたと申すことでありました」という。その後、祖父(高松季実・唐橋の兄弟)と父(高松保実・季実の養子で実は弟)らが相談して、病気を理由に唐橋を大奥から下がらせ、身重のまま水戸城に移し、男子を出産したという(『史談会速記録』第二十八輯所収)〔氏家幹人『江戸の女の底力』p.156〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「唐橋 (大奥女中)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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